三国時代
百済烏次県が三国統一以後、新羅の景徳王の時、烏兒(オア)に改称された。
高麗時代
- 高麗時代の初め頃に定安に改めて呼ばれていたか、仁宗の時、長興府に昇格されて「定州冠山」と呼ばれる。
- 元宗6年(1265年)、懐州牧に昇格
- 忠宣王2年(1310年) 再び長興府に降格。この時は、倭寇の侵入のために住民はすべて北の山地に移った。
朝鮮時代
- 李太祖元年(1392年)、遂寧県の中寧山に城を築き、治所にした。
- 13年(1413年)に都護府からその翌年、遂寧県に都護府を移設。
- 世祖3年(1457年)、鎮を設けて2県として康津、海南を管轄。
- 宣祖32年(1599年)、兵営を康津から長興に移設。
- 宣祖37年(1604年)、康津旧営に移す。
- 粛宗9年(1683年)、鎮を順天に移設。
- 高宗32年(1895年)、長興郡と称する。
近代以降
- 1914. 泉浦、会寧、熊峙など3つの面が宝城郡に編入し、11の行政区域に改編
- 1936.11.01 面の統廃合により府東面を長興面にし、南下、南上の両面を廃合して蓉山面にする。南下面の下鉢里、叩馬里、竹青里と古邑面を廃合し、冠山面に改称して9つの面となる。
- 1940.11.01 長興面が長興邑に昇格して、1邑8面275里に持続
- 1973.07.01 行政区域の調整により、長東面光平里が長平面に調整
- 1980.01.01 長興邑巾山3区、汭陽里、大徳面会鎮里が分割して279里となる。
- 1980.12.01 冠山面と大徳面が冠山邑と大徳邑に昇格して、3邑6面となる。
- 1982.01.01 長興邑巾山4区、元道里、大徳邑会鎮里、安良面水門里が分割して、3邑6面283里となる
- 1985.10.19 大徳邑会鎮出張所を設置
- 1986.04.10 大徳邑から会鎮面が分面して、3邑7面となる。
- 1986.07.15 冠山邑玉堂、蓉山面印岩、豊吉里、安良面海倉3区、長東面北橋1区、長平面龍岡2区、鳳林里、牛山里、青龍里、会鎮面真木2区が分割して、3邑7面293里の行政区域に改編される。
- 2001.12.31 有治面院嶝里が新設されて3邑7面294里の行政区域に改編される。
- 2002.09.16 長興邑杏園2区が分割されて3邑7面295里の行政区域に改編され、現在の名前になる。